太もも写真展について考えていたこと
「太もも写真の世界展2018in池袋マルイ」という写真展が、中止になるという記事をtwitterで目にした。
詳細を読まずに、これは身体論や存在論にせまる写真展なのかと思っていた。
人間の身体の中から、”太もも”という一部分を取り出して、それを眺める。そこに人間性は見いだされず、ただひとつの物体としての”太もも”が存在する。
”太もも”のみを、人の身体から切り取ったとき、そこにヒトの存在はあるのか。またヒトの存在を感じることはできるのか。
「太もも写真の世界」とはどういうものなのか。様々な太ももが見られることだろう。
女性の、男性の、
赤ん坊の、老人の、
肥満の、痩身の、
アスリートの、ボディビルダーの、
黒人の、白人の、
あったはずの、今はなき、
生きている、死んだ、
現在の、過去の、
そういったありとあらゆる太ももが展示されて、見る人を圧倒する。
”太もも”とは何なのか。”太もも”の定義、存在意義、価値。今改めて”太もも”について考える。問いが発せられて、ひとつの答えが導かれる。或いは、各々がそれについての答えを胸に抱く。
また”太ももを眺める”という行為そのものにも目を向けることになる。フェティシズムなのか、パラフィリアなのか、アートなのか。
太ももを眺めている主体である私は、どういう存在なのか。私と太ももはどういう関係性なのか。
身体から部位を切り離してみることで、臓器売買等の犯罪や医学の技術と倫理について思いをはせるかもしれない。
と、ひとしきり妄想してからニュース記事を読んでみたら、普通に「女性の」太もも、とか書いてあって、なんだよ、くそつまんねんな、そんな展覧会中止でいいよ、と思った。
東郷青児展(あべのハルカス美術館)
あべのハルカス美術館でやっている東郷青児展をみてきた。
ウィング館7階のジュンク堂レジ前に、100円割り引いてくれる割引引換券が置いてあるので、何の割引も持っていない人で、時間的に先に寄る余裕のある人は、もらってくるといいかもしれない。
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竹久夢二音楽を描く(高志の国文学館)
用事があって富山へ行ってきたので、せっかくだから寄ってみた。企画展の値段で、常設展も見ることができ、今回は時間があまりなくてじっくり見られなかったけれど、充実していて良かった。
高志の国文学館 | KOSHINOKUNI Museum of Literature
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モダン生駒100年史(生駒ふるさとミュージアム)
市の郷土資料館みたいな建物の企画展へ行った。
サブタイトルが「鉄道開通と近代生駒の夜明け」とある。日本史入門のレポートで「盛り場考」をやったので、私自身に鉄要素はないのだけど、鉄道と近代化の関係がちょっと気になって行ってみた。
続きを読む鉛筆を買う
三菱uniシリーズの鉛筆を買った。大人になってから自分のために鉛筆を買ったのは初めてだ。
展覧会の会場で図録を買う予定がなかったり、そもそも図録がないコレクション展だったりした場合の、キャプションをメモするために購入した。基本的に展開の会場ではペンおよびシャーペンの使用は禁止で、鉛筆の使用だけが許可されている。今までは、こそっとシャーペンを使ったり、学芸員さんが鉛筆を貸してくれたりしていたのだけど、ちゃんと自分の鉛筆を持っていって書こうと思ったのだ。
Bと2Bで迷ったけれど、あまり濃いとくっついたページに移りそうなので、Bに。
メモには野帳を使っている。薄くて軽くて持ち運びにも最適なので、最近気づいたら買い足している。明らかに使うペースより買い足すペースのほうが早い。コラボ野帳とかも色々出ているので、見ているとどうしても欲しくなる。コレクションする人がいるのもわかる。現在使用しているのは、Loftのデザイン野帳で、野帳生活の2冊目。
鉛筆購入と共に、キャップと鉛筆削り(小さいやつ)も買った。次に行きたい展覧会では図録を買う予定なので、鉛筆を使うかどうかわからないけれども。
はじまりは、伊藤若冲(細見美術館)
若冲中心の細見コレクション展を見に行った。若冲の名前が入っているから、それなりに混んでいるかな? と思ったけど、気温が低いせいかコレクション展なせいか、人は少なかった。じっくり見ることができて良かった。
開館20周年記念展Ⅰ 細見コレクションの江戸絵画 はじまりは、伊藤若冲 | 開催中の展覧会 - 京都 細見美術館
リンク先に100円割引の優待券がある。私は気づかなかったので、使ってないけれど。
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