優雅に叱責する不幸で敬虔な幼子たち{仮}

日大通教哲学専攻(1年入学)での学修過程メモなのに、展覧会ばっかり行っている

『わたしを離さないで』を読んで;ネタバレ有

この本の感想を、ネタバレせずに書くことが私にはできないので、未読でネタバレしてほしくない人は読まないほうがいいと思う。

ノーベル賞受賞後に、この本を読んだのだけど、本の存在自体は知っていた。二年くらい前に、大学の倫理学の授業で、学友が映画の方をお勧めしていたからだ。同時に、原作があることを知り、更に臓器提供の話だということも知ったのだと思う。

そういう意味では、読むから既に私はネタバレされていた。 私自身、ネタバレは全く気にならないので別にいいのだけど、この本を読む際に、謎めいたほのめかしの部分は、ミステリーとして機能しなかっただけだった。

最初から臓器提供者の話として読んでいたせいか、読後に思い浮かんだのは、『輝夜姫』(清水玲子)と『約束のネバーランド』(白井カイウ出水ぽすか)だった。

もっとも、『輝夜姫』は多分10巻くらいまでしか読んでいなくて、要人のドナー(スペア)として育てられた主人公たちが、その後どうなったのかよくわからないのだけど、ドナー編は面白かった(この漫画は完結している)。彼らは、ドナーとして育てられていることを知らず、無理やりドナーとして本体に身体を提供させられる。そして、意図せずして本体を乗っ取り、本体に成り替わる。要人である本体の臓器提供のためだけに生かされていると知った主人公たちが、それを企んだ人間たちを憎悪していくのは、自然な流れに思えた。

約束のネバーランド』は、鬼の食糧として飼育される子供たちの話だ。 表向きは孤児院として運営されており、子供たちには知らされず、舞台となるグレース=フィールドで、幸せな子供時代をおくれるように、ママによって愛情いっぱいに育てられる。主人公たちは、自分たちが鬼の食糧として育てられていることを知り、そこを脱走する(現在も週刊少年ジャンプで連載中)。

二つのマンガと、『わたしを離さないで』の共通点は、利用されるために飼育されていたことで、相違点は、マンガと違い『わたしを離さないで』に出てくる提供者たちは、自分たちが何のために生きているか知っていて(使命がある)、そこから逃げ出すことをしないということだ。

彼らは、自分たちがいずれ”提供者”になることを知っている。けれども、それについて深く考えないようにしている。自分たちが”提供者”になることは、当たり前のことだと思っている節がある。だから、「提供を遅らせる」優遇措置という噂になるのだ。

また、ルースのポシブル(本体)を探すエピソードでは、彼らを親のように考えているところがある。自分たちが誰かのクローンであることを知っているが、ある意味では本体は自分自身なせいか、憎悪する対象ではなくて、親近感があるようだ。

同じ人間なのに、同じ人間として扱われておらず、同じように思考し感情もあるのに、そのように見なされない人間というものが存在していたとしたら、というのが『わたしを離さないで』の提供者たちだ。

マダムは、そんな彼らに怯え、憐れんで涙を流す。

保護官たちは全てをわかっている上で、彼らを養育し、せめて幸せな子供時代を過ごさせたいと願う。 

「無慈悲で残酷な世界」とマダムは言ったけれど、ほとんど家畜として過ごしてきたキャシーとトミーにその言葉の意味がどれほど伝わっただろう。噂がデマで、「提供を遅らせる優遇措置など存在しない」ということが「無慈悲で残酷」なこととイコールではない、ということが伝わっているかどうか、疑問である。

この本が倫理学の授業で話題にのぼったのは、功利主義の問題点がそのまま物語になっているからだ。

1人の人間が 4人の人間にそれぞれ臓器提供することによって、1人の人間の不幸の分量と、4人の人間の幸福の分量を比較したら、結果的に幸福の分量は増大している、とすることが果たして本当に善いことだろうか、という問題だ。功利主義の極端な例ではあるけれど、よく使われる。

ただ、『わたしを離さないで』の提供者たちは、自分たちの使命を受け入れていて、そのことを不幸だと思っていない感じがする。

また、マダムが泣いていた理由も、見方によって変わる。 

私は最初、「無慈悲で残酷な世界」がヘールシャムの外の世界で、キャシーが抱いている「古い世界」を、ヘールシャムの子ども時代だと思って読んでいた。けれど、今これを書くために当該部分を読み返すと、もしかしたらマダムが言っているのは、今ではないもっともっと先の未来のことで、提供者による臓器提供が必要ないくらい医療が発達したとき、介護人や提供者としての使命しか生きる意味を与えられなかった彼らは、古い時代を懐かしむことしかできなくなるのではないか、という危惧だったのかもしれない。人間以下と見なされている彼らの生き方など、世間は気にも留めない。

それから、本筋とは関係ないけれど、個人的に刺さったのは、キャシーとトミーが、ルースについて話すところだった。うろ覚えではあるけれど、「ルースの知ったかぶりはいつものことだけど」とトミーが言う箇所だ。きっとルースは、自分はたいていいつもうまくやり過ごせていると思っている。でもそんなルースの癖は、トミーやキャシーみたいな近しい人は、とっくにわかっていて、わかった上でルースのそういうところも込みで好いていてくれて、友達・恋人でいる。失敗したときのごまかし方とか、強がりとか、繰り返されるその人特有の癖ってあると思う。きっと自分も、そんな感じで周囲から許されているんだろうなあと思うと、胸がきゅうと痛くなった。

本を読む前は、映像から入るのが近道かなと思ったけれど、読み終えた今、きっと映像は物足りなく感じるだろうと思う。機会があれば、観てみたいけれど。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)